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昔と今 歴史の街道をテクテク歩く③

<2021年 第78号>

 一日目は平沼橋を越え、二日目は浅間神社、追分、松原商店街を通って帷子町にある金沢横丁に入りました。ここには金沢、浦賀往還の道標として四基(注)が建立され今も残っています。


金沢横丁道標四基


 右から順に(1)円海山道(2)かなさわかまくら道(3)程ヶ谷の枝道曲がれ梅乃花(4)富岡山芋大明神乃道と刻まれており横浜市が文化財として指定・登録したものです。最終回はここから保土ヶ谷道を関内に向かって歩きます。               


〇ふじだな

 明治40年、現在の横浜銀行藤棚支店の近くに見事な藤の木がありました。

 春になると青葉と純白の花をつけ町の一角を飾っていたそうです。この藤を住民が藤棚と呼んだことが始まりで昭和3年に藤棚町ができました。



〇くらやみ坂

 西区役所の東側に位置し、西中学校へ上る急な坂道であるとともに、関内に入る、警備上大事な地点でもありました。「くらやみ坂」の言われは諸説あります。坂の上からの眺めは大変美しく、富士山の姿は素晴らしくここを通りかかった武士はしばし馬を止めてこの景色を眺めたことから鞍止坂と言われ、もう一説は付近一帯の樹木がうっそうと茂っており昼も暗かったことから「暗闇坂」とも呼ばれたそうです。


くらやみ坂


 横浜道、旧東海道、保土ヶ谷道と三つの街道をテクテク歩き最後に横浜道に合流したところで終了とします。なお、寒村だった藤棚が市中の要衝となったのは横浜道の出現で人と物の流れが良くなったからだと言われています。


保土ヶ谷道の表示


参考:ものがたり西区の今昔、保土ヶ谷ものがたり

注釈)道標:かつて旅人のために立てた標示物。石に方向や距離などが刻まれたもの。保土ヶ谷にある金沢横丁は旧東海道の東側。金沢・浦賀への出入り口にあたり、円海山・杉田・富岡など信仰の地があるため、道標が4基建立されたものと考えられる。


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