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関東大震災から90年 あすの西区へ

<2013年 第32号>

 日本の地震災害で最多の犠牲者を出した、1923 年(大正 12 年)9 月 1 日午前 11 時 58 分に発 生した関東大震災は、マグニチュード 7.9 の巨大地震でした。震源地は相模湾から房総沖に及ぶ 海底で、大きな余震が何回も続きました。


 たくさんの建物が倒壊して、昼ごはんの支度で火を使ってい る家が多かったこともあって、火災が発生し ました。折しも台風の接近中で、関東地方に は強風が吹き荒れて、死者・行方不明者は全 体で 10 万 5 千人余、横浜市だけでも 2 万 6 千人余が犠牲となりました。


 稲荷台小学校は幸い焼けずにすみましたが、西前小学校は残念なことに全 焼してしまったそうです(「いなりだい」創立 80 周年記念副読本、「にしま え」創立 100 周年記念副読本)。


 久保山墓地には、土が丸く盛られた「横浜市大震火災横死者合葬之墓」(写真上) があります。また、地震が発生した日に、流言飛語が起きて無防備な朝鮮人や中国 人を襲うという悲劇が起こりました。この時に亡くなった人々のための「関東大震 災殉難朝鮮人慰霊之碑」(写真下)があって、裏には「少年の日に目撃した一市民 建之」と刻まれています。9月1日には、ここで慰霊祭があり ました。



 願成寺の入り口には藤棚一丁目角に残された延命地蔵尊、岩 亀横町焼跡の子育地蔵尊(写真上)などが合祀されています。 また羽沢稲荷に祀られている碑(写真下)には「馬頭観世音菩薩」為震災 焼死及殉職馬匹紀念とあります。





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