<2017年 第52号>
50歳以上の方なら、藤棚の電停を走っていた市電の姿を覚えておられることでしょう。
藤棚には2つの系統の市電が走っていました。中央市場から横浜駅、藤棚を通り、磯子の八幡橋まで行く7系統と、六角橋から浅間下、洪福寺回りで藤棚から浦舟町へ行く9系統です。庶民の足として、地下鉄にはない地上平面の、高齢者でも乗りやすく環境に優しい乗り物でした。
1月末にリニューアルした滝頭の市電保存館では、当時の雄姿愛された市電を見ることができます。「横浜の街の発展とかかわった、市電の歴史と役割を展示しました」と石井英明館長。藤棚在住の郷土史家・田村泰治さんは、「最初、久保山まで開通した当時、電停名が『横枕』だったのを地元が反対し、お茶屋さんにあった『藤棚』が名称になりました。相鉄がまだ西横浜終点だったので、ストの時は地元の青年団が代わりに運行したほど大事な交通機関でした。戦時中、男手がない時代、女性が乗務してハイカラな制服が大人気でしたが、手動ブレーキやポール転換など力仕事で苦労したそうです」と教えてくださいました。
人々の触れ合いを乗せて親しまれた市電。モータリゼーションの時代、1972年にすべて姿を消したのは残念ですね。
ハイカラな女性制服
市電が通った頃の霞橋
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