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今と昔 歴史の街道をテクテク歩く②

<2021年 第77号>

 今回は、旧東海道に入って浅間神社、追分と松原神社を見ながら、テクテクと歩きました。                 


〇浅間(せんげん)神社

浅間神社(袖すり山)を右手に、左手に波の音を聞きながら芝生村のはずれで道が二つに分かれていました。左の海沿いに保土ヶ谷宿方面、右手は八王子宿方面で、八王子宿は江戸から甲州に行く甲州街道にありました。追分は東海道と甲州街道を結ぶ重要な場所で、旅人が行き交う絹の道として山梨の産物が芝生村へ、そして江戸へと運ばれるようになりました。す。全国に約1300社の浅間信仰の神社があり、富士山の山容が眺められる地に多く所在しています。参道の右手に「中道入口」と刻んだ可愛らしい石碑が立っており山の裏手までの細道をお中道として「お中道巡り」が盛んだったようです。


【浅間神社】

〇追分

浅間神社(袖すり山)を右手に、左手に波の音を聞きながら芝生村のはずれで道が二つに分かれていました。左の海沿いに保土ヶ谷宿方面、右手は八王子宿方面で、八王子宿は江戸から甲州に行く甲州街道にありました。追分は東海道と甲州街道を結ぶ重要な場所で、旅人が行き交う絹の道として山梨の産物が芝生村へ、そして江戸へと運ばれるようになりました。


【追分】

〇松原商店街

 戦後のたくましい生命力の中で松原商店街が生まれました。魚の安売りが横浜じゅう広まるようになると、野菜、しょうゆ、生地等のお店が増えてきて横浜のアメ横と呼ばれるようになりました。大正末までは神奈川宿から保土ヶ谷宿までの道中で最も寂しい場所で、白い砂地に人家の少ない広々とした松原でした。          


【松原商店街】


10月号に続く        参考 保土ヶ谷ものがたり/ものがたり西区の今昔


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