<2023年 第89号>
1850年代の開港の頃の横浜の歓楽街は今の横浜スタジアム付近にあり、のちに高島町に移り、その中に岩亀楼がありました。当主は埼玉の岩槻の人で、音読みで「がんき」と呼ばれていました。
遊女達が病に倒れたときに静養する寮が岩亀横丁にあり、信仰していたお稲荷様が岩亀楼の寮内にあったので岩亀稲荷と呼ばれ、信仰が受け継がれています。このお稲荷様にお願いするとご婦人の病が治ると言い伝えられています。
岩亀稲荷と喫茶KALDEY
お稲荷様
<2023年 第89号>
1850年代の開港の頃の横浜の歓楽街は今の横浜スタジアム付近にあり、のちに高島町に移り、その中に岩亀楼がありました。当主は埼玉の岩槻の人で、音読みで「がんき」と呼ばれていました。
遊女達が病に倒れたときに静養する寮が岩亀横丁にあり、信仰していたお稲荷様が岩亀楼の寮内にあったので岩亀稲荷と呼ばれ、信仰が受け継がれています。このお稲荷様にお願いするとご婦人の病が治ると言い伝えられています。
岩亀稲荷と喫茶KALDEY
お稲荷様