昔と今 藤棚の藤棚(町名の起こった藤棚)
<2024年 第92号> かつてキツネやフクロウを見ることもできたこのあたりが「藤棚町」と名付けられたのは昭和3年9 月のこと。戦後関内が接収され、野毛を始めとした各所に商店街が分散した影響もあり、藤棚商店街も爆発的な人気を誇ったそうです。...
今と昔 野毛坂を上る市電とバス
<2020年 第73号> 昭和46年と今とを比べてみると、野毛坂周辺の風景に大きな変化はありませんが、廃線間近い市電が力強く走っています。昭和46年前後というと横浜ではいしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」や五木ひろしの「よこはま・たそがれ」が街に流れており、...
今と昔 残しておきたい大谷卓雄さんの貴重な収集品
<2020年 第72号> ここに貴重な写真があります。写真左 は昭和46年岩亀横丁で昼時に行っていた歩行者天国を戸部通りに住んでいる大塚眞司さんが何気なく撮ったものです。それを本牧に住んでいる大谷卓雄さんが複写して保存していたそうです。 写真左下...
横浜市電と歩んだ藤棚商店街
<2020年 第71号> 横浜市電は、明治37(1904)年から昭和47(1972)年まで約70 年間にわたって“ちんちん電車”の愛称で親しまれ、横浜市内を縦横に走って市民の足となりました。 昭和20(1945)年から30(1955)年代、戦災で焼け野原になった藤棚も見事に...
昔と今 霞ケ丘の不動尊と鐵温泉
<2019年 第65号> 霞ケ丘には、関東学院と道路を挟んで反対側の住宅地の中に画家の長谷川秦氏が描いた不動尊が今もあります。その絵は『「西区そぞろ歩き」絵地図』(平成16 年 横浜ふじライオンズクラブ/西区役所区政推進課広報相談係発行)で見ることができます。...
わいわいセミナー 相鉄100年と藤棚――わいわい広場――
<2018年 第63号> 相鉄は私たちの藤棚と切ってもきれない関わりをもってきました。2017 年12 月18 日に相鉄グループ100 周年を迎えました。そこで10 月のわいわいセミナーでは、10 月25 日に「相鉄100...
藤棚市電物語 7番の市電と女優さん
<2017年 第54号> 2月号に掲載した市電の記事にご協力いただいた郷土史家の田村泰治さんから、藤棚を通る市電に素敵な思い出を持つ方がいるとの情報があり、早速お尋ねしました。 霞橋のたもとにある齋藤米店の齋藤光司さん、84 歳。お神輿歴 45...
昔と今 掃部山公園の花見
<2017年 第53号> お花見で定番の掃部山公園。公園に設置された案内板によると、明治から大正にかけて公園内は花見を楽しむ人々で連日賑わったとあります。 現在の写真の場所は、ベンチがあるだけで屋台も茶店もなく、少し寂しい風景です。 昭和40...
昔と今 愛された市電
<2017年 第52号> 50歳以上の方なら、藤棚の電停を走っていた市電の姿を覚えておられることでしょう。 藤棚には2つの系統の市電が走っていました。中央市場から横浜駅、藤棚を通り、磯子の八幡橋まで行く7系統と、六角橋から浅間下、洪福寺回りで藤棚から浦舟町へ行く9系統です。...
昔と今 西前商店街をバスが通った!
<2016年 第50号> かつて藤棚の商店街に、バスが通っていたことをご存知ですか? 西前商店街(現・西前中央商店会)の中を走り抜けた市営バス47 系統。保土ヶ谷車庫から西前商店街、戸部本町、野毛、桜木町を経て、山下ふ頭まで運行していました。同系統は28...
昔と今 大衆食堂
<2016年 第48号> 昭和和31 年の大衆食堂 で学生と社会 人がなかよく 食事をしてい ます。 場所は西前 商店街を入っ て二つ目の角 にあったようです。壁に貼ってあるお品書きには、み つ豆 30 円、さしみご飯が 60 円とあり、懐かしくも当...
昔と今 昭和30年頃の街角
<2016年 第47号> 「お茶碗ど れにする」 「わたし、 あれがいいな」 あれこれ言 いながら茶碗 を選んでいる 人たちの会話 が聞こえてくるようです。 昭和28年(1953年)5月5日の藤棚商店街の 瀬戸物屋には、所狭しとお茶碗が並んでいます。 「横浜ノスタルジア...